明日私たちはくたばるかもしれない
己の心を奉げてもいい特別なものに出会うためにはまず、お友達や流行りものと群れていては決して見つからない。
だからこそ「孤独であれ」。
ただし「私はここにいると叫び続けろ」。
贅沢とリトル・ブラック・ドレス
宝石は盗まれる不安が、亡失する不安があるからこそ宝石です。
しかしそんなものを一個首にぶらさげたところで不安になったなら、それは贅沢とは言えません。
ならば、歩きやすい靴を買って、お気に入りのリトル・ブラック・ドレスと小振りな鞄で、週末はどこでも行けることの方が、本当の贅沢ではないかと思うのです。
継続しない選択
辞めるか辞めないかという重い決断の時こそ、私は「軽さ」を重んじます。
「面白いか面白くないか」「笑ってもらえるか笑ってもらえないか」「エロいかエロくないか」「美しいか、そうではないか」を重んじる。
どちらか迷ったら、そのくらいのシンプルさに立ち返る方がよいと考えています。
流行より百年先も成立するクラシック
無駄遣いにはもううんざりなのです。
だったらもはや最初の最初から、いつまでも愛せる一生物、少なくとも十年二十年後も余裕で使える素材・形の服、つまり最高にクラシックなものを買った方がよい。
まさに流行より百年先も成立するクラシック。
時にマックイーンを誰よりも美しく思う
「別にいつ辞めてもいい」ってスタンスで仕事してる人が好きです。
「別に好かれなくても結構」って人が美人に見えたりもする。
「別にこの人じゃなくてもよかったんだけど」と言いながら結婚した友人の顔も好き。
その後彼らがどうなるかはさておき最後の最後まで余裕を失わないと決めてる人はよいものです。
大前提として人は、食事したものしか排泄できません
人は、見聞きした言葉しか話せません。
でも、見聞きした言葉は、出会った人によるものである必要がない。
「本を読まないということは、そのひとは孤独ではないという証拠である」とは太宰治の金言です。
なるだけたくさん読んだほうがいい。
読んだ本の数だけ、言葉が、孤独が通じる人の数が増えるからです。
我々はいかにして天才を諦め、逆襲へと邁進することにしたか?
別の人になろうとしなくていい。
上手いことやろうとしなくていい。
優れたものを作ろうとしなくていい。
自分の普通をとことん受け入れなさい。
下手なら下手なりに描き切って私に大いに笑われなさい。
上手にやろうとしたって上手にできない。
そこに拭い難い魅力があるんだから。
才能と呼ばれるものの正体
書くのが得意な人は、人の文章に粗を見出しやすい。
話すのが得意な人は、人の話を退屈だと感じやすい。
なにかを「嫌いだ」「下手だ」と気づくことは才能です。
「どうしてこの人はこんな簡単なことができないんだろう」と思うことは、あなたの得意分野である。
才能はそれを持つ本人が最も気づきにくい形をしている。
最後の砦を、死守する
「死にたくなったら、寝ろ。寝られなかったら、朝焼けを見に行け」と教えてくれたのは現代国語の先生でした。
誰でも真剣に生きていたら、ある日いきなり鬱病になるものです。
YouTube、Instagram、Twitterを見ても、成功した人間ばかりいて、眩し過ぎる。
だから、自分が面白いと思うものを作ることにした。
きっと人は物を買うだけでは、消費するだけでは、絶対に満たされないようにできている。
主体性を放棄してはならないのです。
言葉よりも行動、写真より動画、数字より情動
二十歳を超えたら、学歴も職歴も年収も、無意味です。
社格やら職歴やら年収で人を見るより、無職になってもこの人間は立ち直れるのか、どんな情熱や冷淡さを纏って生きているのかで見詰めた方がいい。
なにを語ってなにを書くか、なにを載せているか、で人を見るより、なにを語らず、書かず、載せないか、で人を見た方がこの時代はよろしい。
見せないものにこそ本質がある。
服装や持ち物で人を見るより、どれだけ一つのものを大事にしているかを見た方がいい。
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